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桜さば寿司開発ストーリー

みなさんこんにちは。桜さば寿司担当の柳澤です。

さて、ここでは、桜さば寿司を開発した物語をお話ししたいと思います。

長文にはなりますが、どうぞご覧下さい。



1)開発のきっかけ



20003月、突然母からの電話があった。内容は、寿司店を

移転し大きくしたものの、経済環境の悪化で売上も不振で、

非常に苦労しているということであった。父が癌で他界して
10年、

父と始めた寿司店を一人で守ってきて、弱音を吐いたことのない母が、

初めて自分の弱い部分を見せた。

 

19964月に大倉商事という旧財閥系商社に入社し、食糧部門でワインや

ビール原料の輸入業務を行っていたが、
1998820日に突然、120年も

続いていた会社が倒産した。入社3年目で商社マンの楽しみがようやく

分かり始めた時であった。倒産した日に解雇通知を受け取ったが、

その解雇日が
920日であり、その日は結婚式の当日であった。

「結婚式の日に無職になるのか?このまま結婚をしても良いのか?」

そんな不安が頭をよぎった。週末に婚約者の両親に事情を説明し、

結婚についてお伺いをたてたところ、寛大にも「まー、君だったら

何をやっても食っていけるだろから、心配はしていないし、予定通り

結婚式を挙げてくれ」とお許しを得た。幸運にも食糧部門は採算性の

良い部であったため、コーヒー・紅茶を扱っている食品商社である

片岡物産に商権と社員を全て営業譲渡されたため、引き続き同じ業務を

行うことができた。無職にはならなかった。



その時に出会ったのが、フランス最高級バター「エシレ」である。

これはフランスの三ツ星レストランに認められた
AOCバターで、

日本でもフレンチの世界では有名なバターである。飛行機での

輸入と輸入関税の関係で価格が非常に高く、通常のバターの
8倍も

する。でも美味しい。商社マン時代に何度もエシレ村という

1000人位しか住んでいない村に行ったが、小さい工場で頑固親父が

昔ながらの作り方でエシレバターを作っている。その小さい村の

こだわりバターは世界的ブランドとなって、世界中に出荷されている。

発酵バターであるため、賞味期限が
60日と短く、日本のバターと

比べると売りにくい商品である。


そんな商品の担当になり、価格は高いがこだわりや美味しさの分かる

人に食べていただくために日々営業をしていた。全国各地を飛び回り、

忙しかったが、やり甲斐もあり楽しかった。

 

そんなある日、母からの電話に驚き、直ぐに岡山県津山市の実家に戻り

話を聞いた。土日がきちんと休める為、週末を利用して毎月1回

帰省し、寿司店の建て直しを行おうと考えた。仕入れやメニュー構成、

販売促進、イベント企画など1年をかけて毎月1回の企画会議を行い

若干の建て直しは出来た。しかし、飲食店は水もので、また津山という

10万人に満たない都市にある飲食店は毎日の売上の浮き沈みが大きい

という問題は解決されなかった。そこで私は「
10万人に対する商売

ではなく、全国
12千万人の人に対して商売がしたい」という願望を

持った。それが、このさば寿司を作ったきっかけである。



2)商品設計




寿司屋が通常扱っている商品は新鮮な魚介類である。

基本的に寿司は握って直ぐ食べてもらうのが一番美味しい。

車で
30分以内であれば出前をしているが、全国の方に食べて

もらうには賞味期限での限界があった。


毎月1回帰省し、職人の人達とのミーティングの中で、

「何か全国に発信のできる商品はできないか?」と聞いたところ、

料理人歴
40年の里内勇雄料理長が「この地方で祭りの時期に食べられる

さば寿司は、もともと保存食で日持ちもするので、

全国発送できるのでは?」

とアイデアが出た。里内料理長は滋賀県出身で、駆け出しの時に京都で

修行していた。ご存知の通り、京都ではさばの棒寿司が有名であり、

そこでの経験を生かせるということであった。


早速、現在津山で販売されているさば寿司を試食し、味やパッケージ

などの研究を行った。正直、私はさば寿司があまり得意ではなく、

酢のきつい、甘みのきついさば寿司を5点ほど試食をしたら、

気持ち悪くなっていた。しかし、津山地方で食べられていた

さば寿司はそれが当たり前であった。


母も含めて試食会議の後、皆で話し合い

「小京都津山の伝統食であるさば寿司を全国に発信していこう」

ということで決まった。



その日の東京への帰る2時間の旅路の途中、ある疑問にぶち当たった

『さば寿司ってそんなに美味しくないし、一般的に受けるのかなー?

全国的に発信しても、好きな人はいるのかなー?何か特徴がないと、

他のさば寿司との差別化はできるのかなー?』


そんな疑問を持ちながら、全国に発信できる日持ちのする寿司商品は

さば寿司しかない、という考えのもと会社の人達にさば寿司を

知っているかどうかを聞いてみた。大半の人は

「大阪のバッテラのこと?」という答えだった。

バッテラはさばを薄く切り、テラ昆布という薄い昆布をつけた

大阪発祥の箱寿司であり、東京の寿司屋でもよくあるものである。


インターネットでさば寿司の調査をすると、やはり京都の

さば寿司が一番有名で、若狭湾で獲れたさばを京都まで

運ぶために塩漬けにし、その塩漬けしたさばを酢でしめて、

さばの片身とシャリと一緒に棒状にし、厚い昆布で巻いたのが

さば棒寿司である。有名なのが「いづう」や「重兵衛」であり、

1本
3-4000円で売っている。価格を見た時に“高い”と感じた。

しかし、同店は歴史と伝統があり、京都という土地柄もあり、

ブランドさば寿司として君臨している。全国的にも愛用者は多く、

価格に関係なく、こだわったお客様が贔屓にしている商品である。

また、鳥取県米子市に米吾の「吾左衛門(ござえもん)さば寿司」も

有名で、全国発送している。


これらの商品を見た時に、「さば寿司の好きな人は全国にいるんだ。

よし、今までにないさば寿司を作り、全国に発信しよう」

と考えた。


20001026日、エシレ村への出張の後、ロンドンから東京に

帰る前日に会社からホテルに課長からの電話があった。

『娘さんが無事生まれたぞ!』帝王切開で出産予定日が
28日で

前日には帰る予定であったが、急遽緊急手術が行われ、

予定日が早まったのだった。立ち会うことが出来ず、

残念であったが、母子共に健康であり、安心した。


その翌月も実家に帰省し、さば寿司プロジェクト会議を行った。

そこでは「今までにないさば寿司を作らないと意味がない。

また津山の新名物を作りたいんだけど、

津山といえば何があるのか?」という投げかけをすると

「津山と言えば、鶴山公園の桜」というのが皆の答えだった。

1994年に、津山観光協会と寿司組合で何か新しい商品を

開発しようと話合い作られたものがある。「桜の葉寿司」である。

これは紅酢か着色料である色粉を使ってシャリを炊き、

さばをサイコロ状にしたものにゴマをまぶし、

俵型のおにぎり状にした寿司飯の中に入れ、桜の葉で包んだ

ものであった。桜まつりの時期だけに販売されるものであった。

1度作ってもらい食べてみたが、さばとシャリとのバランスが

悪いため、美味しいとは思わなかった。



「今までにないさば寿司」

「小京都津山のさば寿司」

「鶴山公園の満開の桜」

のキーワード、これらを組み合わせたものが、

「桜の色と香りのするさば寿司」

の商品設計である。



3)原料選定と試食



2001
3月、毎月1回実家に帰り、寿司店の建て直しを

始めてから1年が経ち、何となく自分なりに飲食店経営の

面白みが分かりだした時、一つの結論を出した。


1999年夏、彼女にプロポーズをした。メキシコの

カンクンというリゾート地のイタリアンレストランでの

ことだった。その時のプロポーズの言葉は「結婚して欲しい。

但し、自分には3つの危険要因があるが良いですか?」

「1つは会社を辞めるかもしれない、2つめは実家に帰る

かもしれない、3つめは父と同じで早死にするかもしれない」

という条件付プロポーズだった。彼女は「3つめの早死には

嫌だけど、OKです」と私の申し出を受け入れてくれた。

ただ、彼女としては、実家に帰り家業を継ぐのは
20年位先の

話であって、結婚後
2年後の子供がまだ小さい時にそのような

事態になるとは考えてもみなかったようである。


3
月に課長に会社を辞めて実家の家業を継ぐということを

申し出た。自分でも葛藤があった。その時扱っていた商権である

「エシレバター」やビール原料「ホップ」に関しては愛着があり、

まだまだやりたい事はあった。しかし、1年間寿司店の建て直しを

しながら、少しずつ結果が出てきている状況で、自分なりの責任が

どちらが重いかを考えた。「片岡物産は自分が居なくても

順調にやっていけるが、寿司店は自分が入らないと悪くなる一方だ」

という結論だった。


200171日、自分としての3つ目の会社である「有限会社といち」

(十一寿司)に就職した。肩書きは専務取締役である。責任も大きい。


今まで月に1回のミーティングでしか物事が進まなかったが、

これからは皆と密に話し合いスピーディーに進めることができる。

さば寿司開発の本格的なスタートである。



さば寿司の原材料は、さば、お米、昆布である。

まず、さばの選定から始まった。さばの仕入れに関しては、

料理長の里内さんが既に研究をしており、紀州、八戸、房総沖、

鳥取境港、焼津港のさばを既に仕入れて、品質を見ており、

年間を通じて安定的に同じ品質のさばの仕入れが可能なのは、

静岡県焼津港の塩さばに限るとの事であった。

早速
1ケース取り寄せてみた。昔ながらの木箱に丸のままの

さばを内臓をとって、塩づけにしてあるものであった。

この木箱は里内さんが小さいころから変わっていないらしい。

発砲スチロールの方が安価で良いような気がするが、

昔ながらの物を守っている焼津のさばに魅力を感じた。



2001
8月に第1回目の試作・試食を行った。

塩さばの塩の抜き方や酢で何分しめるかなど
10通りの方法を行い

パートの女性も含めて
10人で試食会をした。10人の結論は一致

しなかった。やはり
10人いれば、10人の舌があり感覚が異なる

ことを痛感した。


1
つの結論を出さないと前に進まないので、平均点が高く、

若い女性が高く評価しているものを優先して、さばの仕込みの

方法を決定した。


お米は、寿司で使っている“あさひ米”とご飯として提供する

“こしひかり”のどちらを使うかで検討した。

また、棒寿司にするのにシャリのまとまりが良く、

もちもち感を出すためにもち米を混ぜることにした。

“あさひ米”は硬質米で寿司にするとお米が口の中で

ぱらっとほぐれるため、寿司飯として人気が高い。

“こしひかり”はシャリとしてはベトっとしているので

向いていない。同じように4通りの試食を行い、

“あさひ米”ともち米を使ってシャリを炊く事に決まった。


寿司酢は、酢と砂糖と塩の配合割合で味が決まるが、

現在お店で使っている寿司酢の割合より砂糖を少し

多めにするということで決定した。


昆布はバッテラに使っているテラ昆布か、

厚手の北海道日高産の龍皮昆布のどちらにするか検討した

結果、旨みが多い龍皮昆布を甘酢に漬けて柔らかくして

使うことに決まった。


1ヶ月間、計8回の試食会を行い、さば寿司の3大原材料の

選定と仕込み方法が決まった。
4日に1度の試食会で

スタッフは皆、さば寿司に飽きていた。



4)差別化



これで普通に美味しいさば寿司は完成した。

使用している原材料やこだわりに関して言えば、

近辺のさば寿司に負けないと自負していたが、

やはり普通のさば寿司でしかなかった。インパクトがない。


「桜
100選にも選ばれている鶴山公園の満開の桜」を

イメージして作るさば寿司。他にはない商品としては

これしかなかった。

テーマは桜色と香りであった。


シャリに色を付けるのは、細工寿司では行うことであるが

一般的な商品に色付けしたシャリを使うのは、

寿司の世界から言ったら邪道であった。母親も含めて、

寿司職人の人達は反対意見が多かった。

「桜をイメージして作り、他との差別化を行うためには、

色と香りは絶対に必要だと」皆を説得し、何とか理解してもらった。


反対意見はあったものの、桜色のシャリを試作してみた。

最初は着色料である色粉を使いシャリを炊いてみたが、

色が桜ではなく赤色のシャリとなった。また合成着色料は

体にも良くないため使いたくなかった。母の知人の

和菓子屋さんが桜色のお饅頭を作っており、話を聞いてみると

紅麹というものをつかっているらしい。

近くの製菓材料屋に行ってみると、紅麹は売っていた。

これは、中国では漢方薬として親しまれており、

日本でも栄養補助食品として売られている。

これを使って着色すれば安全面では間違いないと感じた。

色の付け方の研究のため、
1升づつ3通りの方法を行い、

綺麗な桜色になる微妙な使用料を導き出した。


耳かき1杯の微妙な世界である。


次に桜の香りである。一般的に人工香料として

桜の香りエキスが売られていた。炊いてみたが、

香りが主張しすぎて、さばや昆布の旨みが損なわれる。

また食べた後も口の中に香りが残ってしまう。

これでは駄目だ。

桜の葉の塩漬けを刻んで一緒にご飯を炊いてみたが、

葉っぱが口に残り食べにくかったが、香りは自然で良かった。

3回目の試作として、だしパックの袋に桜の葉の塩漬けを

入れ香りだけをシャリにつけようとしたが、

桜の葉に近い部分は香りがきつく、そうでない場所には

香りがついてなかった。香りづけには1か月ほどかかり、

里内さんが思いついたのは「桜の葉の塩漬けを使い、

自分でエキスを作ってしまえば良いんではないか?」

ということであった。これは企業秘密なので、

エキス製造方法は出せないが、
5回程の試作の結果、

桜の葉エキスが完成した。


色・香りの面での差別化のための試作が
2ヶ月ほどかかり

完成したのは
10月のことであった。同時並行して、

パッケージとネーミングの検討を行った。パッケージは

昔ながらの竹の皮を使い、さば寿司全体を包むということ

で決まったが、ネーミングには苦労した。単に「さば寿司」

というネーミングではインパクトがない。

何か商品名として考えたかった。ネーミングとして上がったのが、

「桜の華」「さくら」と桜を前面に出したものや、

「二代目」「元気」など全くさば寿司とはかけ離れた商品名を

つけるという案も出た。
3回ほどの会議で30個ほどの案が出たが、

最終的に決まったのは「うまかろう」である。

これは、さばを英語で「マッカロウ」と言い、津山では食べ物を

他の人に薦める時「このさば寿司、美味しいでしょう!」

と伝える時

「このさば寿司、うまかろう(語尾を上げる)」

と言うことから、英語で「マッカロウ」と他の人に薦めたくなる

さば寿司という意味合いをかけて、

「うまかろう」という商品名が決まった。


2002
1月に、原材料、仕込み方法、色と香りの差別化、

パッケージ、ネーミングが決まった。

「よし!これで勝負するぞ!」

皆でこのさば寿司を全国展開するぞという意気込みが盛り上がった。


このさば寿司を商品化するにあたって、

前述の「エシレバター」の販売経験が大きく影響したことは

言うまでもない。



5)市場調査と試験販売


自分たちの思いで作ったさば寿司を、市場は認めてくれるのか?

色と香りが付いているさば寿司は邪道ではないか?

そんな不安を感じ、このさば寿司の市場調査をすることにした。


まず、お店に来店される皆様に試食アンケートを
3日間実施し、

100人程の集計結果を得た。その中には、「色も香りも要らない」

「さば寿司としては、酢も効いてないし物足りない」

など否定的な意見もあったが、概ね好感触であった。

津山の人達は昔からさば寿司を食べており、小さい頃から

食べていた酢の効いた甘いさば寿司を好んで食べている。

味の面ではやはり津山以外の人達に聞いてみたいという思いから、

片岡物産の人達に試食を送り、アンケートをとってみた。

コメントを出来るだけ書いてもらったが、その中には

「さば寿司はあまり得意ではなかったですが、これだと食べ易いです。

美味しかったです」という回答があり、これは嬉しかった。

「さば寿司文化のない若い人達に、さば寿司を食べてもらいたい」

という自分の思いが通じたのだった。


150人以上のアンケート集計を見て、不安が払拭された。


2002
年春、店内で試験販売を開始した。

初めての商品なので、試食をしてもらい、商品をアピールする

ことから始めた。さば寿司は、さばと昆布とシャリが

1日経たないと馴染まないため、作った翌日が一番美味しい。

そのため、売れるかどうかは別にして毎日
510本は作り続けた。

最初は目新しさから順調に売れたが、
2ヶ月程経ち徐々に

販売速度は落ちた。残っても店内のセット寿司の中の

一つとして使うことができるので、破棄することは少ないが、

それでも残ることは多々あった。


すぐ近くの宮川という川で毎月第二日曜日に朝市が

行われていたので、それに出店した。

試食販売を行い、
2030本は売れた。


2002
9月、祭りの時期に合わせて、「うまかろう」という

ラベルを印刷し、正式に発売することとした。


2
年間の試作・開発を経て、ようやく商品化された!!



6)3年間の地道な販売



「全国展開するぞ!」といっても、どうやったら展開できるのか?

さっぱり分からなかった。賞味期限が
2.5日と短いため、

遠方のお店、たとえ百貨店でも店頭販売では

難しいという事は分かった。

やはりお客様に直接お届けできる通信販売が一番良いだろうと考え、

ホームページを立ち上げた。ホームページを立ち上げただけでは、

注文は来なかった。
3年間で10件程である。



「まず地元のお客様に愛される様に頑張ろう!」

そう思うしかなかった。通信販売の手がかりのないまま、

作り続けなければならない訳で、そうするしかなかった。


毎月の宮川朝市、春の鶴山公園桜祭り、秋の城東むかし祭り等、

様々なイベントに出た。

売れる日は
50本、100本と販売することが出来た。

しかしイベント以外は毎日
5本を作り、2本売れたり、

1本も売れなかったり。賞味期限ギリギリの商品は従業員に配った。


2003
328日、その年は気温が高く桜の花も25日には咲き、

さば寿司の販売も開花とともに売れ続けた。

花見のお客様がお店に多数お越しになり、

さば寿司作りに忙しい毎日を送っていた、

そんな時に次女が生まれた。

花が咲いている時に生まれた子供なので、

「咲」という字を名前に入れた。


2004
3月、産経新聞の記者から電話があった。

「桜の商品を取材したいのですが?」次の日記者が来店し、

さば寿司「うまかろう」の試食、写真撮影、

取材と
3時間近くかかったが、この商品に対する想い、

開発経緯など詳しく説明した。自分としては、

新聞に載る大きなチャンスだと感じた。


4
3日にその記事が掲載された、掲載範囲が広く

滋賀県から広島県の広範囲で配られる産経新聞に掲載された。

朝から電話が鳴りっぱなしで、問合せ、注文が殺到した。

新聞だけの注文で
500本近く販売した。これは凄い反響だった。


丁度、桜も見ごろで、その記事を見て、遠くは滋賀県から

車でお越しになる方たちもあった。記事を書いた記者は

結構有名な方で、文章にも力があったんだと実感した。


4
月の花見も終盤戦の16日、JRから電話があった。

JR岡山駅の構内でさば寿司を売ってみないですか?」

という提案だった。新聞掲載から、毎日
50本以上の販売を

続けており、自分も意気揚々となっていた。

「よし、岡山駅で
100本売ってやるぞ!」

そんな気になった。


売る場所は岡山駅の在来線から新幹線に接続する

コンコースの中で、金曜日となると
1日に2万人の人が

通るところである。事前に下見をして、

JRの人達と打ち合わせをした。

「今までに、同じ場所で他の商品で一番売れたのは

どれ位の金額でしょうか?」そんな質問をすると

「だいたい
7万円位ですかねー」

と非常に少ない金額を言われたので、

「では、
15万円売ってみせましょう!」と大口を叩いた。


6
18日の金曜日、いよいよその日がやってきた。

これがうまくいけば、キオスクの常時商品としても

可能性が出てくる。

5時間位で売ってやるぞ」と意気込んだ。

9時から販売を開始し、最初の20本はよく売れた。

「よし、このペースで午前中に売って帰ろう」

と試食を片手に、在来線から新幹線に乗り継ぐ方に

「新聞に乗った桜の香りのするさば寿司は

いかがでしょうかー。お土産にどうぞ!」と大声を出し、

試食をしてもらおうとしたが、

乗り継ぎの人は足早に目の前を通り過ぎて行く。

試食さえも手を出さない。在来線が岡山駅に到着する度に

200人近くの人が目の前を通り過ぎるが、全く売れない。

おかしい。


4
時頃まで7時間、のどをからせながら粘ったが、

結果売れたのは
31本。79本も残ってしまった。

前日、試食も合わせて
130本の製造のために、

スタッフ総手で休憩なしで作ってもらい、

皆に「全部売って帰りますから!」と大手を振って

出て行った自分が情けなく感じた。皆に申し訳ない。

79本も持って帰っても、どうしようもないため、

岡山駅構内売店の人達に無料で配った。駅職員にも配り、

全てを配り終えたのは
7時の事であった。帰りの運転中、

自分の力の無さを痛感した。

絶対売れると信じて行ったのに、この惨憺たる結果は

全て自分の責任である。

9時半にお店に帰り、スタッフの皆に

「申し訳ない。
110本持って行って、31本しか売れませんでした。

皆さんの頑張りを無駄にしてしまった。申し訳ない。」

と言ったところ誰もが

「お疲れ様でした。大変でしたね、また今度頑張りましょう!」

と自分を責めるどころか、逆に励まされた。これには涙が出た。

悔し涙だった。



後で聞いてみると、飛行機との競争の為、岡山駅の在来線から

新幹線への乗り継ぎ時間は
35分位しかなく、皆足早にホームまで

急ぐため、コンコースでは商品が売れないということであった。


自分自身の情報収集能力の無さ、売れない場合の対処法を

取らなかったこと、リスクマネージメント能力の無さに、

自分のおごりが入り、このような大失敗をしてしまった

ことは事実である。



7)いよいよ全国展開へ



3
年半の間、売り続けたことで、地元津山の人達から

認められる商品となり、少ないながらに安定して販売をしていた。

地元のお客様が口コミで広げてくれて、神戸の歯医者さんは

定期的に注文をくれる。リピーターも増えてきた。

しかし、全国区の商品とは言い難い。


20046月より「美作大学技術交流プラザ」の

「食品分科会」に参加させていただいていた。

これは地産地消をテーマとして、産学官民の連携で商品開発を

していこうというグループであり、食品分科会では会で

開発した商品を「夢みのり」ブランドとして認証し、

販売支援等を行っている。

津山新産業開発機構という官主導の団体としては活発な

活動をしている。このさば寿司のお米は地元岡山県産のものを

使っているが、他のさばや昆布は他県からであり、

海に面していない津山で完全に地産地消は難しかった。

だから、夢みのり認証は考えていなかった。


2005
117日、さば寿司全国展開の大きな転機が来た。

同会のマーケティングアドバイザー近藤氏からの


1
通のメールだった。

それは「セコムの食への推薦の件」という題で

「食品通信販売では全国的に有名なセコムの食に、

さば寿司を提案されてみてはどうでしょうか?

少し時間がかかり、審査も厳しいのですが、

採用されればラッキー!という感じで出してみませんか?」

という内容であった。自分としても何か全国販売をする

糸口が欲しく、地元での販売も安定してきたことから、

本当に軽い気持ちで企画書を送付した。このさば寿司は

自分なりにこだわりを持って、他にない物を作っていると

自負していたが、セコムの食には非常にこだわった商品で

且つ高価な商品が掲載されており、さば寿司が採用されるのは

難しいのではないのかと思っていた。


企画書をファックスした
2日後、セコムの食担当者から電話が来た

「検討候補に上がりましたので、サンプルを送付下さい」

おっ!これは好感触。早速サンプルを送付し、

見積等の条件を提示した。

大丈夫かどうか、不安であったが、
1週間後に結果が出た。

採用である。

ラッキー!本当にラッキーが舞い降りてきた。

自分のこだわりや商品が認められたのである。

タイミングも良かったのは、セコムの食の春号の企画に

桜の色と香りのするさば寿司が丁度合っていたのである。

発行部数
23万部、23万人以上の人達にこのさば寿司を

紹介できる喜びは大きい。近藤さん、ありがとうございます!


2005
11月、同じようなタイミングで、東京ギフトショー出展の

お誘いが近藤氏から来た。費用はかかるが、
20万人来場の展示会に

出展できるのは大きなチャンスであると感じた。

食品分科会の他のメンバー
5社も同時出展するというので、

出展までに展示方法やレイアウト、資料作りなど
5回もの

会議・打ち合わせを行った。
214日から17日にかけて行われた

東京ギフトショーは、来場者数も多く、バイヤー対象の展示会なので、

来場者の目が真剣であった。

これは凄いぞ!出来る限り試食してもらい、

この味を知ってもらうことに専念した。さば寿司に興味のある

お客様には自分の熱い思いを伝え、しゃべり続けた。


このギフトショーで、一つの縁があった。

雑誌「サライ」への掲載である。

2005年春に雑誌社5社程に飛び込み営業をし、さば寿司を

アピールしており、「サライ」は非常に魅力的な雑誌であった。

その通販部門の方が来られたのである。

2年間思い続けた女性を口説くかの如く、担当者に熱い思いと

商品のアピールをした。展示会後も電話をし、サンプルを送付し、

めでたく採用が決まった。やったー!!!!!!


26
万部発行の雑誌に掲載されることの喜び、

また「サライ」というこだわり読者が購入している雑誌に

掲載されることは非常に意味のあることだと感じた。


これで、
12000万人の内、セコムとサライで50万人の

人たちにさば寿司をアピール出来るぞ!



全国展開への初めの一歩が踏み出された。




以上が開発ストーリーです。かなりの長文でしたが、読んで頂いた

方には厚く御礼申し上げます。

ご意見等がございましたら、「店長メール」にメールをお願いします。

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